NAGASAKI ATOMIC BOMB MUSEUM MEMORIAL DATABASE
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原爆資料館
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無題
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資料名 | 無題 |
資料番号 | 3-01-06-04-0021 |
寄贈年月日 | |
寄贈者名 |
古賀正子 |
資料説明 | (作者コメント:原文のまま)九日の浦上の火災は、真っ赤に夜空を焦がして真昼のような明るさを残して夜は明けた。私達家族一同は、まだ帰宅しない学徒動員の次姉を待ち続けた。翌日、早朝帰らぬ姉を捜しに、長姉と私は小島の自宅を出発した。八千代町のガスタンクが爆発のおそれがあるので,西山経由の三山越えで、浦上に行くことにした。山を登り下りして歩いていると、時々、負傷者とすれ違うようになった。火傷した人、負傷した人達が、あちらこちらに横たわっている。牛や馬も身動きできず、しきりに泣いていた。そのうち、ゾロゾロと火傷した人、負傷した人がユタリ、ユタリと登ってきた。細い道をすれ違い(すいません)と詫びながら,滑りやすい道を歩いた。途中で突然に草木がない下り道になった。「浦上が見える」姉の声に顔を上げると、目の前に一面の焼け野原が飛び込んできた。山の稜線まで焼け野原となって、建物らしきものは一つもない。ずっと向こうの丘にコンクリートの城山国民学校がぽつんと残っていた。この光景は、今でも目に焼き付いて忘れることはない。やがて、私達姉妹は,手がかりを求めて学校に行くことにした。別に、手紙6枚添付(H14年度、NHK、長崎新聞社などと共催して募集した「被爆者が描く原爆の絵」作品)
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