NAGASAKI ATOMIC BOMB MUSEUM MEMORIAL DATABASE
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原爆資料館
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無題
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資料名 | 無題 |
資料番号 | 3-01-06-02-0057 |
寄贈年月日 | 2002/7/15 |
寄贈者名 |
中島廣喜 |
資料説明 | (作者コメント:原文のまま)此の絵は、昭和20年8月10日の浦上川々下より竹岩橋方面を望んだようすの追憶図である。私は、三菱電機(株)長崎製作所に勤務中であったが、職命により、数名の同僚と鎮西学院中学(現在の活水中学)内に疎開していた分工場の偵察に行く途中の惨状である。それは、あまりにも悲惨な場面であり、今日まで深く脳裏に焼きついているので、敢えて描いた次弟です。左側は、竹之久保町の民家の家並が全焼していて、前方の少し高台の付近が、くすぶったり、もえ上がったりしていた。西岸の道路には、無数の遺体が散乱していたが、ほとんどの人が全裸状態であった。道行く人達が、ありあわせの物を下腹部にのせられていたのが、せめてもの救いであった。前方の橋が竹岩橋で、その奥の方が、松山町方面であるが、すべて燃えつきていた。絵の右側一帯は、三菱製鋼所の被災の残骸である。空には、きのこ雲の名残りと、火災の黒煙のかたまりが、まだ延々と停滞していた。見渡す限りの風景はすべて赤茶けていた。私達一行は、堤防の上を小走りで通り過ぎたのであるが。17才夏の暗く重苦しい思い出である。(H14年度、NHK、長崎新聞社などと共催して募集した「被爆者が描く原爆の絵」作品)
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