NAGASAKI ATOMIC BOMB MUSEUM MEMORIAL DATABASE

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原爆資料館

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無題

無題 資料名無題
資料番号3-01-06-02-0056
寄贈年月日2002/6/24
寄贈者名 吉山昭子
資料説明

(作者コメント:原文のまま)私は女学校四年生で戦争もだんだんひどくなり勉強は出来なくて三菱兵機製作所大橋工場へ学徒報告隊として働いていました。八月九日、原爆落下の日朝七時に家を出て、電車が満員で乗れなかったので、歩いて駅迄来たら警戒警報が出たので、家に帰りました。家に帰って母のお手伝い、お掃除、洗濯をしていたら空襲警報が出て、母、妹二人、弟と下の横穴防空壕に避難しました。 解除になったので家に戻り、ほっとして居た瞬間ピカッーとしたと同時に強い風が吹いて、ガラス、屋根が飛んで、壁の一部がくずれ落ち、、、 母が『早く押入れに入りなさい』と云はれ、妹二人、弟と入りました。母は何が起きたのだろうと心配そうにうろうろしてました。 暫らく時間が経って、私の家の上は、金比羅山に通じる道でしたので、、、 焼けただれた若い男性、怪我した人々が山を越えて、おりて来て助けを求め、、、 何が起きたのかとびっくりしました。 父は心配してお勤めから急いで帰り、、、 『浦上の方に広島に落とされた爆弾と同じ爆弾が落ちたらしい』と心配してました。 三菱長崎製鋼所に姉二人がお勤めしてましたので、どうせ駄目だろうと心配しながら一夜をすごしました。 翌日の夕方頃どなたかが、玄関の入口に『お嬢さん二人は助かって居られますよ』と書いて置いてあったので、父と母はすぐ近くの方のリヤカーを借りて来ましたが、その日はもう陽が暮れかかってましたので、翌日父がリヤカーを引いて後を母と私が押しながら、、、製鋼所へ向いました。駅から先の浦上方面は建物、焼け爛れた電車、車を引いたこげた馬の姿、人間の焼け爛れた人、人で何とも云えない悲しい場面、生き地獄をみながら道なき道を急ぎました。 やっとの思いで製鋼所へ着きました。 二人の姉は怪我しながらも助ってました。 父と母も私もほっとしました。泣きながら二人をリヤカーに乗せ急いで帰りました。 家に着くとすぐ父・母が急いで家にある薬りで手当をしました。この平和な毎日の中で57年前のあの時の原爆落下の現状を思い出し胸が痛みます。 犠牲者の方々のことを忘れてはなりません。 今平和で暮らせるのは犠牲者の方々の上にあることを多くの人、世界の人々に伝えなくてはなりません。    合掌(H14年度、NHK、長崎新聞社などと共催して募集した「被爆者が描く原爆の絵」作品)

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